life_work’s diary

答えは自分の中にある

ふつうな人こそロールモデルに

私が社会に出たのは今から15年前

氷河期も終わりの兆しが見え始めた頃 

とはいえ、先に回復したのは男子で、能力に差があるとは思えなかったが、就職が決まっていく男子を横目に、女子は軒並み苦戦した。


一方で、男女平等の教育を受けた世代でもあり、社会はまだ旧態依然の男性優位な社会であることに、ものすごく疎かった。


それにアムラーが一世を風靡した女子高生全盛期に学生時代を過ごした私達世代は、女子の儚さなんてものとは全くの無縁、大学もバンカラな校風の共学だったこともあり、女子という性別を全く意識することなく、怖いものなしの学生時代、パワーに溢れていた。

だから余計に、そういう社会であることに気づきずらかった。


今思えば、伏線はあった。

OBOG訪問で、OBはみなそれなりに活きいきしていたが、OGのほうは、会う人会う人、生気を吸いとられたように、目に力がなく、一様に仕事に思い悩んでおり、学生の私がいつの間にかOGの悩みを聞く立場に逆転していたりして。

OGの女性たちも、学生と社会のギャップにもがいていたこと、彼女たちの少し後に社会に出たその後の私は、痛いほどよくわかる。



私もなんとか、とあるメーカーの総合職に就職が決まった。

そこは今まで女性総合職は1名しか採用していなかったところ、その年は5名採用という、女性採用の走りの年に入社。

まだパワハラという言葉もなく、女性は男性の3倍仕事してようやく一人前だ、と言われながら、月100時間のサービス残業をこなし、ヘロヘロになりながら闇雲に働いた。

当時女性総合職には何を言っても構わないという暗黙のルールが存在し、とにかく、何を言われても、はい、と答えてやるしかない、甘えるな、会社はまだそんな昭和の雰囲気が残っていた。


そして、びっくりするほど会社に女性がいなかった。

いるのは昔から働いているベテランの一般職の女性と派遣の方、もしくは総合職第一号で、結婚してるけどこどもは諦め、すべてを仕事に捧げるような、超タフでものすごい無理をしてる女性くらいだった。


会社にいても自分の将来がまったく見えない、とにかく、若さだけを頼りに心身共に無理をして、理不尽な思いはすべてお酒で流す、今思い出しても疲れてしまう20代を過ごした。



20代の後半から、転職、結婚、転勤、2回の出産、、仕事をしながら様々なライフイベントを経験し、自分の人生の優先順位も変遷がありつつつ、今30代の終わり、自分より後の世代の女性たちはもっとしなやかに後ろに続いているものの、前にいるのは、最高学府を出て、留学もして英語も完璧、鉄のハートで道を切り開く、というような、ほんの一握りの超人的なエリート女性。覚悟とレベルが違いすぎて、畏多くてロールモデルなんてとんでもない。

仕事もがんばるけど、子育ての時間も楽しみたい、バランスとってやってこうよ、というような、能力もライフスタイルももっと平凡な女性というのが、前にはまったくいなくて、自分がその所謂ちょっと緩い働き方の先頭を走ってしまっている。。なんということ、その道の第一線なんて笑。それもそれで畏多いのだが。


ときどき、エリート女性の輝かしい軌跡を辿るようなネット記事も見かけるが、あまりに自分と違いすぎて、参考にならないと思うのは私だけではないはず。

男性だったら、会社を見渡せば、大体自分の将来の道筋が見えるところ、女性は周りを見てもリアリティのあるロールモデルを見つけるのが非常に難しい。それに男性に比べて、ライフスタイルのバリエーションが多岐に渡っている。


であれば、もっと身近に、リアルに感じられるさまざまな声を人は求めてるんじゃないか。

平凡のなかに、日常のなかに、誰かの生きるヒントがあるんじゃないか、そういう声をもっともっと聞きたいのでは。それにより、自分が思うふつうの中から、実は煌めきがあることに、気づけるんじゃかいか。 


そういう、ふつうな自分に自信がもてないでいる女性(でも男性でも)が、胸を張って生きられたら、それはそれは、ハッピーな世の中で、自分の能力のなさを嘆いて、そこにフォーカスしてなんとかしようとするよりも、むしろそのふつうを受け入れることが、これからの時代を生き抜く鍵になると思えてならない。