life_work’s diary

答えは自分の中にある

原点回帰

コロナで在宅勤務が始まる前、通勤時間が長いこともあり、こどもと過ごす時間と仕事の時間、どちらも足りないと常に焦ってジタバタしていた。

夫は朝早く出勤し、こどもたちが寝たあと帰宅。平日家族で食事をする時間もなく、家事育児を一手に引き受け、仕事に向き合う時間も限られ、身体が悲鳴を上げていた。もう仕事を辞めて楽になりたい。そこまでがんばるほど大層な仕事でもないんだから。

心も限界だった。


でもこのコロナの後、生活は一変。

夫と私、どちらかは必ず家で仕事ができて、学校から帰るこどもを家で「おかえり〜」と迎えることができるようになり、平日も家族で食卓を囲めるようになった。


本来なら当たり前にあるべき家族の日常だったのかもしれないが、不意に手に入れることができたこの幸せ。

今の状況を変えるには、会社を辞めるしかないと諦めていたのに。


そのうち、今まで忙しくて目にも止まっていなかった道の片隅に咲く花や、小鳥のさえずりが聞こえるようになり、身近にあって今まで気づけなかった小さな幸せをたくさん感じられるようになった。海も山も川もあって、人も温かくて、なんて素敵な街なんだと、今住んでいる場所がもっともっと好きになった。


そんな日々を過ごしていくうちに、心がみるみる元気になった。年中悩まされていた偏頭痛も、いつのまにか消えていた。

そのうち、仕事まで楽しめるようになっていた。


本当に、色んなことが満たされていった。

でも私の周りの環境や人や仕事が変わったわけではない。もともとずっとそこにあった。でも気づく時間と心の余裕がなかった。


私にとっての幸せは、たくさんのお金を稼いだり、贅沢な暮らしをすることではなく、今ここにある幸せ、に気がつける、感謝できる生活であることだった。


明らかに今、社会は価値観の転換期を迎えている。

その中で気がついた。

今ここにある、自分自身が幸福の源であったことに。


そう、私への原点回帰。

男性脳と女性脳

仕事は男も女もない、その思いで仕事をしてきた。それは今も変わらない。

入社したての頃は、話を完結にしろ、だから結論はなんだ、などよく言われた。自分はなんて馬鹿なんだ、と落ち込んだりもしながら、だんだんと要領を掴んで、経緯や原因などはよほどの案件でない限り語りすぎない、論理立てて説明する、ということを意識した。

会議で女性はいつも私1人。取引先も女性はいない。周りは皆男性だけど、私自身も、自分は女性という意識もさらさらない。あるのは人間という一つの括りだけ。

そんな環境に身を置いていた私が1人目の産休育休で、1年半、社宅で主婦の女性たちと、女性社会にどっぷりと浸かって過ごした。

今までとガラッと環境が変わり、色々なことが新鮮だったが、何より、女性が集まる環境に身を置いたことで、男性と女性の思考が全然違う、ということにはたと気がついた。


女性は、思いつきにまかせて話す傾向にある。結論はこうです、なんてものはほとんどない、たわいもない話のオンパレード。そこからまた話が広がり、コミュニティがまた広がり、たわいもない話から、こどもにとって大事な情報が得られたりする。


こどもが体調不良のときなんて、男性の、結論ありきで余計なことは言わない、なんて思考のままなら、こどもの症状でちょっと気になることなどスルーしてしまい、こどもが危険な状態になる可能性すらある。


特に子を守る、子を育てる、ということにおいて、ちょっとした気配りや思いつきからの情報交換といった女性の特性は、ものすごく優位に働くということがよくわかった。

だから、論理立てて物事を考えられないのは能力がない、なんてことはまったくないし、仕事で重要視される思考が、こと子育てという課題に於いては優位とはいえないことにも気がついた。

また、この男女の思考の違いで、夫婦ですれ違うことは多分にあるだろうと、冷静に思えた。


男性は結論ありきで話す。女性はただただ、思いつくまま、胸の内を話したい。話すだけですっきりするのだから。

男性は、女性の話をきいて、解決策を提案しようとする。それをばしっと提案されると、女性は、なんで私の話をちゃんと聞いてくれないの、私のことわかってくれないのかしら、冷たい人だ、、とこうなるのが、もう客観的にわかってしまうし、特に育休中は実際に我が家でもこんなやりとりが繰り広げられていた。

がしかし、仕事で男性脳もかなり鍛えられたおかげで、男性の思考もよくわかるし、男性のその解決策の提案に、愛があることも理解できる。


んー男女は違うんだな、でも違うからこそ、様々な局面にも対応できる幅が2人なら2倍になる、そのための違いなんだろうと納得する。

だから、どちらが上、ということはない。社会の中で、男性も女性も対等である、というのがまず大前提だ。


会社も、年々女性社員が増えている。

いまやうちの会社も新卒採用は男女半々になっているし、女性が増えて、ダークスーツの男性が減り、視覚的にもカラフルになって、空気も心なしか軽やかになっているように感じる。

男性的思考に偏りすぎると、今度は思考が固くなりすぎて、スピード感や社内の横の繋がりを築く上では、女性脳こそ有利に働くのではと感じている。

一方で、やはり感情的になりすぎないこと、それは男女関係なく、一社会人として、これからも一貫して肝に銘じ、男女のくくりを超えた自分らしさで、勝負していきたい。

歳を重ねること

歳を重ねるごとに、思考が柔軟になって、余計な雑念が削ぎ落とされて、今が一番生きやすいし、スムーズだし、充実してるし、なんなら内面から湧き上がる活力は今の方があるし、外見も含めていまの自分が一番しっくりくる。


持って生まれた顔の造形やスタイルそのものから、歳を重ねるごとに、生き方や人柄がその人自身となって現れることを 周りを見ても身をもって感じるようになった。


若い頃は想像もつかなかったけれど、若い子が急に歳を取るわけではなく、その延長線上に今があるだけ。どんな生き方をしてきたのか、その履歴が刻まれていく。


こと、仕事に関しては、女性は特に、若いが故に職場で僻まれたり、軽く扱われたりと、若さゆえの悩みがあったりもするものだけど、そういうものから解放されて、経験値も上がって、精神衛生上かなりラクになっていくケースが多いはず。


歳を取るのは怖い、なんてとんでもない。今が一番ハッピー、を更新していくのみ。

年齢に囚われず、チャレンジしたらいい。

人生は楽しむためにあるのだ。

ふつうな人こそロールモデルに

私が社会に出たのは今から15年前

氷河期も終わりの兆しが見え始めた頃 

とはいえ、先に回復したのは男子で、能力に差があるとは思えなかったが、就職が決まっていく男子を横目に、女子は軒並み苦戦した。


一方で、男女平等の教育を受けた世代でもあり、社会はまだ旧態依然の男性優位な社会であることに、ものすごく疎かった。


それにアムラーが一世を風靡した女子高生全盛期に学生時代を過ごした私達世代は、女子の儚さなんてものとは全くの無縁、大学もバンカラな校風の共学だったこともあり、女子という性別を全く意識することなく、怖いものなしの学生時代、パワーに溢れていた。

だから余計に、そういう社会であることに気づきずらかった。


今思えば、伏線はあった。

OBOG訪問で、OBはみなそれなりに活きいきしていたが、OGのほうは、会う人会う人、生気を吸いとられたように、目に力がなく、一様に仕事に思い悩んでおり、学生の私がいつの間にかOGの悩みを聞く立場に逆転していたりして。

OGの女性たちも、学生と社会のギャップにもがいていたこと、彼女たちの少し後に社会に出たその後の私は、痛いほどよくわかる。



私もなんとか、とあるメーカーの総合職に就職が決まった。

そこは今まで女性総合職は1名しか採用していなかったところ、その年は5名採用という、女性採用の走りの年に入社。

まだパワハラという言葉もなく、女性は男性の3倍仕事してようやく一人前だ、と言われながら、月100時間のサービス残業をこなし、ヘロヘロになりながら闇雲に働いた。

当時女性総合職には何を言っても構わないという暗黙のルールが存在し、とにかく、何を言われても、はい、と答えてやるしかない、甘えるな、会社はまだそんな昭和の雰囲気が残っていた。


そして、びっくりするほど会社に女性がいなかった。

いるのは昔から働いているベテランの一般職の女性と派遣の方、もしくは総合職第一号で、結婚してるけどこどもは諦め、すべてを仕事に捧げるような、超タフでものすごい無理をしてる女性くらいだった。


会社にいても自分の将来がまったく見えない、とにかく、若さだけを頼りに心身共に無理をして、理不尽な思いはすべてお酒で流す、今思い出しても疲れてしまう20代を過ごした。



20代の後半から、転職、結婚、転勤、2回の出産、、仕事をしながら様々なライフイベントを経験し、自分の人生の優先順位も変遷がありつつつ、今30代の終わり、自分より後の世代の女性たちはもっとしなやかに後ろに続いているものの、前にいるのは、最高学府を出て、留学もして英語も完璧、鉄のハートで道を切り開く、というような、ほんの一握りの超人的なエリート女性。覚悟とレベルが違いすぎて、畏多くてロールモデルなんてとんでもない。

仕事もがんばるけど、子育ての時間も楽しみたい、バランスとってやってこうよ、というような、能力もライフスタイルももっと平凡な女性というのが、前にはまったくいなくて、自分がその所謂ちょっと緩い働き方の先頭を走ってしまっている。。なんということ、その道の第一線なんて笑。それもそれで畏多いのだが。


ときどき、エリート女性の輝かしい軌跡を辿るようなネット記事も見かけるが、あまりに自分と違いすぎて、参考にならないと思うのは私だけではないはず。

男性だったら、会社を見渡せば、大体自分の将来の道筋が見えるところ、女性は周りを見てもリアリティのあるロールモデルを見つけるのが非常に難しい。それに男性に比べて、ライフスタイルのバリエーションが多岐に渡っている。


であれば、もっと身近に、リアルに感じられるさまざまな声を人は求めてるんじゃないか。

平凡のなかに、日常のなかに、誰かの生きるヒントがあるんじゃないか、そういう声をもっともっと聞きたいのでは。それにより、自分が思うふつうの中から、実は煌めきがあることに、気づけるんじゃかいか。 


そういう、ふつうな自分に自信がもてないでいる女性(でも男性でも)が、胸を張って生きられたら、それはそれは、ハッピーな世の中で、自分の能力のなさを嘆いて、そこにフォーカスしてなんとかしようとするよりも、むしろそのふつうを受け入れることが、これからの時代を生き抜く鍵になると思えてならない。

みんな違って みんないい

だれひとりとして同じ境遇の人はいない。
その人のバックグラウンド:家族構成、育った環境、容姿、性格・・・だれひとりとして同じではないのだから、
同じような人生を歩むはずはない。

それなのに、だれかの一部分を切り取って、同じようにできない自分は何ももってないんだと、空しくなる。


目に留まっただれかの人生の一コマを切り取って、自分の人生の一コマも切り取って並べてみては、あぁ、ドラマチックな展開のない、平凡な人生だな、とがっかりする。


そんなこと、だれだってある、弱ってるときは。

自分のことは置いておいて、どんな人に人は惹かれるかといったら、
何もかも完璧じゃないけど、失敗もあったり、気持ちのぶれもありながら、それでも上を向いて進んでいこうとする人。


清々しくて、憎めなくて、そういう人間的な部分こそ魅力で、そういう人に人は惹かれる。


だれしも、光るものがある、その平凡に思えることこそが、魅力なことだってある。


それなのに、自分のことは客観的に見れなくて、自信がないとき、焦っているとき、
それをすっかり忘れて、もっと焦って、自信をなくし、負のループに入ってしまう。


古今東西、差別やいじめも、呆れるほどずーっと昔から世界中でなくならない、
それは自信のなさからくる他人との比較から、自分のほうが優れている点をなんとか探そうとして、優位に立とうとする、人間のエゴ。


比べることの苦しみに、ずっと人は、世界は、振り回されている。


だれひとりとして同じではない、尊いいのち。そこに優劣は存在しない。


誰かと比べても、何の意味ない。自分を見つめる先にしか、未来はない。


落ち込む自分もあって、いいんだよって、

その上から包む余裕と優しさを

自分自身に持てるなら


この世界は、もっと温かくなるってことを

ときどき思い出せる自分でいたい。

海辺でスローライフ

海辺で暮らしはじめて一年が過ぎました。

海の近くでゆったり暮らせたらいいなぁ、なんて夢をぼんやりと思い描いてはいたけれど、いつのまにか現実に。


とはいえ、少し前までは、都内までの長い通勤に疲弊し、この暮らしを味わう余裕もなく、気力も体力も消耗する毎日。

通勤せずに働ける道を探したい、もう限界だーっと思っていた矢先に、コロナで在宅勤務が可能に。

私の心の叫びが届いたのか?!きっかけはともあれ理想?の生活が実現しつつあります。


今まで、四季を感じる余裕もなく、道端の草花が咲いたことにも、朝日とともにさえずる鳥の声にも気づかずに暮らしていたんだなぁと。

この日常にある幸せをもっともっと感じたい。そんな思いがますます強くなりました。


今日はようやく梅雨が明け、穏やかな海と、雲の合間に澄んだ空が見えて、心も晴れやかに。

海を見てると、自分も含め、すべて、大したことはない、それでいい、と気付かされる。

人間もただちっぽけな地球の一部として、波の音とともに包み込まれる。


この日常を 大切にしよう。


愛を込めて。

彫刻の森美術館〜ピカソの言葉

いよいよブログをはじめることに。


きっかけは、彫刻の森美術館で出会ったピカソの言葉に後押しされ、というよりガツンとやられた、というのが正しいかもしれません。


ピカソはこう言ってました。


『大切なのは見つけることであって、探すことではない。


芸術家とは見つける人だ。

芸術にとって意図とは何の価値もなく、


スペインの諺の

「愛は議論ではなく、事実で試される」 


のように大事なのは行動である。』



ここ最近、悶々とする日々が続いていました。何者でもない自分を憂い、時に苛立ち、色んな思いが渦巻いて、自分の軸がぐらんぐらんと揺れていました。


この憂鬱は、長い梅雨のせいかもしれません。でももう何年も、こうやって、自分の外に、自分の知らない世界に、まだ見ぬ何かがあるかもしれないと、必死に探して、結局何も掴めないまま、歳月だけが過ぎていきました。


あの日ピカソの言葉を目にして、この心の中にある、たわいもない日常から紡いだ自分の思いを言葉にして、何者でもない自分の色を見つけてみよう、そう思った瞬間に、内からみなぎる熱い思いが溢れて、急に自分の見ている景色が彩り豊かになったこの不思議。偉大な芸術家、ピカソの熱量と奥深さに感服しました。


ピカソの言葉との出会いから、行動の第一歩として、このブログを通して、私の中にある思いをかたちにしていけたらと思っています。


お付き合い、よろしくお願いします。